北海道大学の男子学生らが戦闘員としてイスラム国(ISIS)に加わろうとしたとして、警視庁公安部は、関係者を事情聴取し、関係先を捜索したという報道がありました。私戦予備・陰謀罪という聞き慣れない言葉が登場し、どういった「犯罪」なのか、様々なところで解説や議論がされているようです。
私戦予備及び陰謀罪については、刑法93条で「外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀をした者は、3月以上5年以下の禁錮に処する。」と定めらています。物の本によれば、「私的に戦闘行為をする」とは、わが国の国権の発動によらず、私的に武力行使を行うことを意味するとされています。予備行為・陰謀行為というと、何気ない雑談やちょっとした調べ物までも含まれるように思われ、処罰範囲が無限定に広がりそうです。ですから「外国に対し私的に戦闘行為をする」という明確な目的をもった予備行為・陰謀行為だけを処罰するものとし、かなり危険性のある計画行為や具体的な準備行為等、対象となる行為が自ずと絞られ処罰範囲が限定されるという構造になっているはずです。
と、ここまでは、刑法の注釈書や概説書の記述から比較的容易に窺い知ることができます。しかし、本当の問題はここから先にあるように思います。
捜査機関が私戦予備・陰謀罪で強制捜査に踏み切ったのは初めてのことだそうです。私も、今回の報道に接する前は、このような犯罪が刑法典に存在することすら忘れていました。では、なぜ捜査機関は、わざわざこのような珍しい犯罪で捜査を始めたのでしょうか。
刑法77条以下(刑法各論)に定められた犯罪は、国家的法益に対する罪、社会的法益に対する罪、個人的法益に対する罪の3つに分類することができます。国家的法益に対する罪とは、刑法が保護しようとする利益の主体が、個人や社会一般ではなく国家そのものであるとされる犯罪です。よく聞くのは贈収賄罪(刑法197条、198条)や公務執行妨害罪(刑法95条)です。前者は職務行為に対する国民の信頼が、後者は公務員によって執行される公務が保護法益とされています。
社会的法益に対する罪は、刑法が保護しようとする利益の主体が社会そのものであるとされる犯罪で、私文書偽造罪(刑法159条)などがこれにあたります。
個人的法益に対する罪は、刑法が保護しようとする利益の主体が個人であるとされる犯罪です。個人の財産に対する犯罪である窃盗罪(刑法235条)や詐欺罪(刑法246条)、個人の生命に対する犯罪である殺人罪(刑法199条)、個人の自由に対する犯罪である監禁罪(刑法220条)など、圧倒的多数の犯罪がこれに該当します。
ところで、国家的法益の一部は、個人的法益に置き換えることができます。例えば、国家的法益に対する罪である内乱罪(刑法77条)で暴動が起きれば、大勢の人が殺されたり怪我させられたりするでしょうから、それは個人的法益に対する罪である殺人罪(刑法199条)や傷害罪(204条)にもなります。戦後の日本では、一見、国家的法益に対する罪かと思われる事件についても、慎重を期して、個人的法益に対する罪が適用されることがありました。近年ではオウム真理教事件がそうで、当時、内乱罪の適用も議論されたようですが、結局、殺人罪等が適用されました。個人の権利・自由を保護することの集積が国家の利益につながると考えれば、可能な限り個人的法益に対する罪に還元し、これを適用するという姿勢は妥当だと思います。日本国憲法は、まさにそのような個人を最大限に尊重するという価値観で成り立っています。個人的法益と独立した国家的法益を強調して刑法を適用することは、例えば、戦前の治安維持法などを思い起こさせ、日本国憲法の価値観と相容れないものがあると思います。
私戦予備・陰謀罪も、国際関係的安全という国家的法益に対する罪とされていますが、最終的には戦闘行為から個人の生命・身体・財産等を保護するという意味で、個人的法益に対する罪に置き換えることができるでしょう。実際に、殺人罪には予備罪(刑法201条)も用意されており、それとは別に凶器準備集合罪(刑法208条の2)という犯罪もあります。そうであれば、一見、私戦予備・陰謀罪と思われるような事件についても、他の個人的法益に対する罪に還元して、これを無理なく適用して捜査すれば十分なように思います。
しかし、今回の場合は、おそらく他の個人的法益に対する罪に該当しなかったのでしょう。報道によれば、学生の行為は要するに「渡航を計画した」というものだったようです。これだけでは、とても殺人予備罪や凶器準備集合罪には該当しないでしょう。しかし、何とかして強制捜査に取りかかりたい。そこで目をつけたのが、一度も使われたことのない私戦予備・陰謀罪だった。そう考えると、かなり強引な捜査のようにも見えます。
私戦予備・陰謀罪のいう「私的に戦闘行為をする」とは、わが国の国権の発動によらず、私的に武力行使を行うことをいうとされます。この犯罪が定められた背景には、わが国の国権の発動による武力行使も存在するという前提があったはずです。刑法が明治40年(1907年)に公布された法律であることからすれば当然のことでしょう。他方、日本国憲法9条の下、戦後日本は、国権の発動たる戦争を永久に放棄しています。私戦予備・陰謀罪の成り立ちは、日本国憲法とは相容れないように感じます。やや穿った見方かも知れませんが、集団的自衛権の行使容認の閣議決定がなされた今年、「死文化」された私戦予備・陰謀罪が蘇ったことに、何か因縁めいたものを感じます。
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