弁護人にとって公判前整理手続における最も大切なことは何かと問われれば、私は、検察官の主張立証を固めることであると答えます。このことは、公判前整理手続導入前の刑事裁判を思い起こせば容易に分かります。
まず、検察官の主張について。起訴後、弁護人は、検察官が開示した請求証拠を検討し、第1回公判期日を迎えます。しかし、第1回公判期日前、弁護人が検察官に対して検察官の主張に関する求釈明(質問)をしても、検察官は、これにあまり応じないのが実情です。従って、検察官の冒頭陳述を迎えるまで検察官の主張の全体像はよく分かりません。起訴状から推測するしかありません。ところが、検察官が弁護人の推測とは異なる主張をすることがあります。この場合、弁護人は、事前の準備ができていない以上、持ち帰って次回期日までにその主張に対する弁護方針を検討するしかありません。
証人尋問も同様です。検察官の側で尋問を請求した証人が、弁護人の推測と異なる証言をすることがあります。例えば、証人Aが捜査段階で警察官の事情聴取に対して「事件当日、被告人と会った」と供述した調書が残っていたとします。弁護人としては、証人Aが公判でその調書と同じ内容の証言をするだろうと推測し、その証言と矛盾する客観的事実を集めるなどして反対尋問の準備をします。ところが、証人Aが公判で「被告人と会ったのは事件当日ではなく前日だった」と証言したらどうでしょう。しかも、証人Aは先回りして「事件当日、被告人と会った」という供述調書が不正確であった理由をもっともらしく解説したとします。この場合、弁護人が事前にした準備は水の泡となり、持ち帰って次回期日までに反対尋問の準備をし直すしかないでしょう。
もう一つ、検察官の追加立証の問題もあります。さきほどの例で、証人Aに対する弁護人の反対尋問が成功したとします。つまり「事件前日、被告人と会った」という証人Aの証言は信用できないという印象を裁判官に与えることができたとします。すると、検察官は、すかさず証人Bの尋問を追加で請求し、証人Bに「事件前日、Aと被告人が会っているのを見た」と証言させます。この場合も、弁護人は、持ち帰って次回期日までに証拠を検討し直し、この新たに登場した証人Bに対する反対尋問の準備に着手しなければなりません。
このように、公判前整理手続導入前の刑事裁判は、五月雨式に公判期日を重ね、裁判の予測をたてることが非常に困難でした。予測が立ちにくいということは、ときには被告人・弁護人に有利に働くこともありましたが、相手方に十分な準備の機会を与えず、かつ、自分自身は自由に軌道修正することができるという意味において、ほとんどの場合は挙証責任(立証に失敗すると不利益を課せられる立場)のある検察官に有利に働いていたように思います。
この点、公判前整理手続は「充実した公判の審理を継続的、計画的かつ迅速に行う」ことを目的にした争点(主張)及び証拠(立証)を整理する手続です(刑事訴訟法316条の2)。当然、連日開廷の裁判員裁判を念頭に置いており、不測の事態が発生して公判が途中でストップしたり延長されたりしないよう、工夫が凝らされています。言うまでもなく、この工夫は、裁判に参加する国民の皆様に迷惑をかけないで裁判を滞りなく進めたいという裁判所の意向を反映したものでしょう。しかし、大切なのは、同床異夢とはいえ、弁護人にとってこれを最大限に使わない手はないということです。現実には、検察官の主張立証を十分に固めることなく公判に突入することを弁護人が許している事例が非常に多いのではないかと推察します。しかし、刑事裁判においては、挙証責任を負った検察官が合理的疑いを超えた証明に失敗すれば被告人・弁護人の主張が通るはずなのですから、この点を疎かにしたまま適切な弁護活動ができるとは思えません。
弁護人が特に注意すべき点は、さきほど挙げた3つの局面、すなわち検察官の主張、証人尋問、追加立証に、シリーズ第5回の証拠開示を加え、全部で4つあると考えます。
まず、公判前整理手続に付された後、検察官は証明予定事実を明らかにします(刑事訴訟法316条の13)。これで検察官の主張立証の基本的な構造が分かります。ただし、中には裏づける証拠が明確にされていない主張、刑法上成立するのか定かではない主張などが含まれていることが多いので、そのような場合、弁護人は、妥協することなく検察官に対し釈明を求めるべきです。公判廷に比べ、公判前整理手続では、この求釈明がやり易くなりました。
次に、シリーズ第5回で述べた証拠開示です(同法316条の15、316条の20)。検察官が請求する証拠以外の証拠の開示を丁寧に請求し、検察官がどのような証拠を持っていて、どのような証拠を持っていないのかをチェックします。
さらに、意外と重要なのが検察官請求証人の証言予定の確定です(同法316条の14)。検察官が取調べを請求した供述証拠について弁護人が不同意意見を述べると、検察官はその供述した人物の証人尋問を請求することがあります。その人物は、検察官からの主尋問に対し、通常、供述調書と同じ内容の証言をするはずです。ところが、弁護人が注意しておかないと、その人物が供述調書と異なる証言をしたり、供述調書の内容に大幅な追加をして証言したりする可能性があります(さきほど述べた証人Aのとおりです)。弁護人としては、検察官に対し、公判前整理手続の中で、証人が予定する証言内容を全て明確させた上で、反対尋問の準備にとりかかるべきです。
最後に、証拠調べ請求の制限があります(316条の32)。公判前整理手続が終了した後、検察官と弁護人は、やむを得ない事由がなければ、追加で証拠調べ請求をすることができなくなります。この規定によって、検察官は、弁護活動が功を奏した場合、証拠を追加することが難しくなりました。弁護人にとって、検察官の追加立証を封じる防波堤になりますが、弁護人の証拠調べ請求も制限されますので、諸刃の剣ということになります。
弁護人は、検察官の主張立証を固める手段として、公判前整理手続をもっと有効活用すべきです。
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