シリーズ「弁護人に問う」第11回〜なぜ弁論をするのか

 弁論(最終弁論)とは、証拠調べ手続が終わった後にする弁護人の意見陳述のことです。弁論は、弁護人にとって、第一審公判手続における最後の大仕事です。弁護人は、証拠調べを踏まえ、その裁判について自由に意見を述べることができます。自由にというのは、刑事訴訟法293条2項に「被告人及び弁護人は、意見を陳述することができる」としか定められていないことからも窺えます。まさに、季刊刑事弁護77号(現代人文社)の特集「弁論は自由に」のとおりです。

 弁護士が十人いれば弁論は十通り存在します。弁論のやり方は弁護士によって様々だからです。しかし、様々という中にも重要なポイントはあるはずです。では、最も重要なことは何でしょうか。法廷弁護技術研修で学ぶような裁判官・裁判員とのアイコンタクトでしょうか。パワーポイントを駆使することでしょうか。それともやはり最後は情熱でしょうか。

 私は、弁論にとって最も重要なことは、裁判官・裁判員を説得する論理だと思います。弁護士の滑舌が多少悪かったとしても、原稿を棒読みしたとしても、「なるほど」と納得できる論理さえあれば、弁論としての役割を果たすことはできます。逆に、論理が不十分だと、いくら法廷で雄弁に語ったところで空回りに終わってしまいます。これは、裁判員裁判だけでなく、圧倒的多数を占める裁判官裁判についても同様だと思います。

 では、どうすれば論理を示すことができるのでしょうか。裁判において裁判官・裁判員を説得する道具は、やはり証拠と事実です。弁論は証拠を評価する場ですから、基本型は「この証拠からこの事実が認められます」というパターンになるはずです。弁論において、全ての証拠に言及することは分量的に不可能ですし、かえって焦点が定まらなくなるので、言及する証拠はある程度絞るべきです。多数の証拠のうち、どの証拠をピックアップするかは弁護人の自由なのですが、大切なのは、その弁論が、言及しない証拠も含め、裁判に現れた全ての証拠を矛盾なく説明できているかどうかということです。弁護人は、被告人にとって不利な証拠にも果敢に挑まなければなりません。都合の悪い証拠に蓋をした弁論は、その場はごまかすことができても、後に裁判官室・評議室で簡単に見破られてしまい、そこが致命傷になるといえるからです。

 そうすると、弁論で論理を示すためには、是非とも説得力のある証拠を揃えたいところです。ここでいう証拠には、供述調書や鑑定書等の書証、現場の遺留品等の物証、証人の証言等の人証など全てが含まれます。裁判所に証拠を提出しこれを取り調べるのが証拠調べ手続ですから、いかに説得力のある証拠を示すことができるかは、結局、証拠調べ手続の段階で決まります。そして、公判前整理手続に付された事件であれば、どの証拠を裁判で用いるかは公判前整理手続で決まりますから、私は、将来、説得力のある論理的な弁論をすることができるかどうかのカギは、公判前整理手続にあるものと考えています。

 それにしても、そのように説得力のある証拠が都合よく見つかるとは限りません。むしろ、そのような証拠を発見(開示を含む)できることのほうが稀でしょう。従って、大半の事件においては、決して万全とはいえない証拠関係の中、どうにかして弁護をしなければなりません。このような状況下において、弁護人にとって最大の武器は、有罪認定のためには合理的な疑いを差し挟まないほどの証明が必要であるという刑事裁判の鉄則です。弁論においては、是非ともこの合理的疑いについても触れておきたいところです。そして、この鉄則に触れるのであれば、通り一遍のセリフではなく、その事件に即した合理的疑いとは何かを具体的に示すことができるとさらに良くなると思います。

 ところで、有罪・無罪を争うような否認事件だけでなく、情状を中心的な争点とする事件についても、なぜその被告人にその刑がふさわしいのか、やはり弁論の論理を示す必要があります。特に裁判員制度が導入されて以降、裁判員裁判においては、従来の項目を拾うだけの弁論(反省している、弁償した、若い、前科がない、情状証人がいる等)はほとんど通用しなくなってきたと言われます。これには次の二つの事情が関係しているのではないかと思います。

 まず、裁判官だけの裁判においても、本来は裁判員裁判と同じように情状の論理自体は必要だったはずですが、従来は裁判官、検察官、弁護人の三者で、何が被告人に有利な情状で何が不利な情状かについての暗黙の了解があり、裁判官が、その了解を前提とした判決を書くのが通常だったため、問題があまり浮き彫りにならなかったということです。しかし、今では、そのような暗黙の了解が通用しない裁判員を説得するため、情状に関する論理が明確に必要となったのです。つまり、なぜ弁償すると刑に影響し得るのか、なぜ前科がないと刑に影響し得るのかといったことを、弁論で丁寧に説明しなければなりません。

 また、検察官の論告の仕方にも関係があります。従来、検察官は被告人に不利な情状だけを項目立てて述べ、有利な情状は弁護人の弁論に任せるという暗黙の棲み分けがありました。しかし、裁判員制度が導入されて以降、検察官は、論告の段階において、被告人に有利な情状についても十分に言及した上、それでもなお検察官の求刑意見が相当であるというスタンスの論告をするのが通例となりました。そのような論告がなされた後に、弁護人が、通り一遍の有利な情状を羅列しただけの弁論をしても、何の説得力もありません。検察官の論告を予測し、その論告を踏まえても、なお弁論のほうが説得力があるというスタンスの弁論をする必要があります。なお、検察官の求刑意見に対抗して、弁護人からも何年の刑が相当であるという意見を積極的に述べることがありますが、そのためには裁判所の量刑検索システムを駆使する必要もあります。

 以上、情状について述べたことは、基本的には裁判員裁判を念頭に置いたものですが、裁判員裁判以外についても決して無関係ではないと思います。裁判官のみを判断者とする裁判の場合においても、微妙な判断が求められる事件については、裁判官を説得するための論理が必要だからです。それに、裁判員にとって論理的で分かりやすい弁論は、被告人にとっても論理的で分かりやすい弁論といえます。被告人が弁論の意味をよく理解してくれれば、裁判についての納得や、今後の生き方といった側面で被告人にとってプラスに働くのではないでしょうか。

 最後に弁論の形式面ですが、これは自分に合ったスタイルを作り上げていくしかないと思います。私自身は、ペーパーレスにこだわっているわけではなく、パワーポイントを使うこともほとんどなく、原稿を普通に読むことのほうが多いです。ただし、耳から入って分かりにくい熟語や同音異義語はできるだけ避けるようにし、押し付けがましい表現にならないように注意しながら、ゆっくり語るようにしています(それでも緊張して速くなってしまいます。)。もう一つ、被告人のことは、どのような事件であっても最初から最後まで「○○さん」と呼ぶように心がけています。被告人という抽象的な記号ではなく、私たちと同じように現実に生きている人間として裁判を受けてほしいからです。

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第6回~なぜ検察官の主張立証を固めないのか
第7回~なぜ不同意意見を述べないのか
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第9回~なぜ被告人を隣に座らせないのか
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