周防正行監督の『それでもボクは会議で闘う』(岩波書店)を読みました。法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」のメンバーに選ばれた監督が、会議での体験や感想を一冊の本にまとめたものです。監督は、痴漢冤罪をテーマにした映画『それでもボクはやってない』(2007年)を作ったこともあって、有識者の一人として部会のメンバーに選ばれたようです。
「新時代の刑事司法制度特別部会」の議事録や資料は法務省の下記ウェブサイトで読むことができます。法制審議会の答申は法案のベースとなり、今後の刑事実務に与える影響が大きいことは確かなので、私もここでの議論には注目していました。
http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi03500012.html
いわゆる「郵便不正事件」では、検察官による強引な見込み捜査、証拠改ざんなどが大スキャンダルとなり、被告人とされた厚生労働省の村木厚子さんが無罪となりました。この事件は検察に対する信頼を失墜させ、まず「検察の在り方検討会議」が開催されました。そして、その会議の提言を踏まえ、2011年、法務大臣の諮問により「新時代の刑事司法制度特別部会」が設置されました。村木さんも、周防監督と同様、この部会のメンバーの一人でした。
「検察の在り方検討会議」の提言は、取調べ及び供述調書に過度に依拠した捜査・公判の在り方を抜本的に見直して、制度としての取調べの可視化を含む新たな刑事司法制度を構築するための検討を直ちに開始すべきである、というものでした。「新時代の刑事司法制度特別部会」は、この提言を受けて設置された部会ですから、当然、取調べの可視化を中心に捜査機関の活動を監視しその権限を抑制する方向での議論が進み、答申がなされるはずでした。周防監督も、1.取調べの可視化、2.証拠の全面開示、3.人質司法(否認を続けるといつまでも釈放されない日本の刑事司法の実態)からの脱却の3項目が柱になると考えて会議に参加したそうです。
ところが、蓋を開けてみると、3年以上の議論の結果、出された答申は、当初の設置目的からは大きく後退したものでした。つまり、1.取調べの全面可視化は、全事件のわずか2%程度に過ぎない裁判員裁判対象事件と検察官独自捜査事件に限定され例外も設けられ、2.証拠開示は、公判前整理手続に付された事件についてのみ一覧表を交付するという中途半端なものにとどまり、3.人質司法に関しては、ほとんど何も変わらないという内容でした。それどころか、4.通信傍受(盗聴)の拡大、5.刑事免責制度(司法取引)など、捜査機関の権限を強化する制度が盛り込まれ、こちらばかりが目をひきます。もともと、捜査機関の活動を監視しその権限を抑制する方向で始まった議論が、なぜか活動を強化し権限を拡大する方向に押し戻されてまとまったようにも見えます。まさに、捜査機関の「焼け太り」と言えるでしょう。
なぜこのようになってしまったのでしょうか。その答えは、法務省による部会メンバーの人選にあり、最初から結論は見えていたということだと思います。周防監督の本に、自分がメンバーに選ばれた直後、ある法曹関係者から「絶望的なメンバーですね」と言われたというくだりがありますが、まさにその通りです。自己の出身母体の権益を守るべき警察・検察関係者がズラーッとメンバーに名を連ねること自体、一体本気で改革するつもりがあるのか、人選の時点で社会から厳しく問われるべきだったと思います。現に、会議では、警察・検察関係者が、入れ替わり立ち替わり、権限を抑制する方向だけでなく新しい捜査権限を与えてほしいという趣旨の発言を繰り返しています。その甲斐もあって、彼らは通信傍受(盗聴)や刑事免責制度(司法取引)を答申に盛り込むことに成功しました。
しかし、一層大きな役割を果たしたと思えるのは、数名の学者委員の意見です。例えば、周防監督の本にも、ある教授が、捜査機関にとって厳しい意見をなだめながら、可視化の議論を巧みに骨抜きにしていく様子が描かれています。別の教授は、自身が制定にも関わった現行の段階的(一部)証拠開示制度に固執し、全面的証拠開示論に立ちはだかります。さらに別の教授に至っては、現に長期間身体拘束を受けて自白を強要された経験のある村木さんを前に、日本に人質司法という実態があるのか疑問だなどと平気で言っています。私は、学者という職業は、理論的な観点から実務を批判的に検証する役割を担っているものと思っていましたが、このような形で、学者の意見が、実務を追認しようとする警察・検察を強力にサポートすることもあるのだと知って、少し残念な気持ちになりました。
周防監督は、あとがきで次のように書いています。「もともとは検察の不祥事が原因で開かれた会議であったはずなのに、その不祥事に対する批判も反省も忘れている人たちを相手に、改革の必要性を訴える日々は、虚しさに満ちたものだった。言葉を重ねても、手応えなく素通りしていったり、強く跳ね返されるばかりで、およそ議論を闘わせたという実感はない。それでも最後まで諦めずに言葉を尽くした。そうするよりほかなかった。そしてついに、交わることのない言葉の応酬に疲れ果て、思わず口をついて出たのが、『民主主義は大変ですね』ということだったのだと思う。」
刑事司法に携わる者は、周防監督のような司法以外の業界の方が、ここまで虚しさを感じるほど酷い現状にあることを恥じるべきです。国連の委員会等からたびたび勧告を受けても、いっこうに改まる気配のない日本の刑事司法は、グローバル・スタンダードから取り残されていくしかないのでしょうか。
周防監督は「今回決まった法案は、今までの捜査機関のやり方に少なからず影響を与え、実務が変わることで、捜査機関の考え方そのものを改めさせる可能性がある」とも書き、「裁判所の公正な判断と弁護士の努力が不可欠である」と締めくくっています。私たち弁護士には、全面可視化がなされていない状態でとられた供述調書を簡単に採用させず、十分に証拠が開示されないまま審理を進めることも許さず、勾留に対しては徹底的に争う姿勢をとり続ける責務があるのだと思います。
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