身体拘束からの解放を目指して(3)

 前々回、前回に引き続き、身体拘束からの解放について書きます。今回は勾留取消です。

 被疑者・被告人を勾留された状態から解放する手段は、複数あります。勾留の初期段階では、勾留決定に対する準抗告を申し立てることが一般的です。申立ては容易には認められませんが、ここ数年で飛躍的に申立件数が増えたため、裁判所も昔のように「珍しい申立が来た」という感覚では対応していないはずです。全体としてはまだまだ少ないものの、この調子で申立件数が増えれば、今後、判断が類型化され、こなれていくのではないかと予想されます。

 他方、起訴された後は保釈請求が最大の問題となります。保釈については、次回、書こうと思います。なお、実務上は、被疑者・被告人が病気の場合、勾留の執行停止(刑事訴訟法95条)がなされることもありますが、これは当事者の請求権ではなく、裁判所の職権発動によるもので、他の制度とは性質が異なります。

 ところで、被疑者・被告人を勾留された状態から解放する手段の一つに、勾留取消という制度があります。刑事訴訟法87条1項は「勾留の理由又は勾留の必要がなくなったときは、裁判所は、請求により、又は職権で、決定をもって勾留を取り消さなければならない。」と定めます。この条文を読むと、簡単で使い勝手の良い制度のように見えます。勾留決定に対する準抗告とは異なり、勾留決定の判断そのものの違法性には言及せず、しかし、その後の捜査過程からすれば、今はもう勾留の理由も必要性もないではないか、という論法で請求することとなり、現実的です。また、保釈と異なり、保釈保証金を用意する必要もありません。

 ところが、この勾留取消は、実務上、ごく稀にしか認められません。私自身、これまで何度となく勾留取消の請求をしましたが、一度も認められたことがありません。司法統計によると、平成26年中に勾留状を発付された被告人員は55,914人で、そのうち、請求により勾留が取り消された被告人はわずか94人、被疑者を足しても151人にとどまります。平成26年中に保釈を許可された人員は13,646人ですので、これと比較すると、勾留取消がいかに少ないかが分かります。

しかし、起訴前、起訴後を問わず、私は、この勾留取消にふさわしい事件はもっと多くあるのではないかと思っています。起訴前、つまり捜査段階において、被疑者を勾留したものの、捜索差押も既に完了し、関係者の聞き取りも概ね終了し、被疑者の取調べも大してやっていないといった事案があります。このような事案についても、捜査機関は、勾留満期まで処分をせず、裁判官もそれを許容し、なかなか勾留取消をしません。その結果、被疑者は無意味に勾留され続けます。

 起訴された事件は、被疑者勾留からほぼ自動的に被告人勾留に切り替わります。被告人勾留の期間は、公訴提起から2ヶ月とされます(刑事訴訟法60条2項)。しかし、現実には、保釈が認められない限り、裁判が終わるまで勾留は延々と更新されます。2ヶ月の後については、同じ2項に「特に継続の必要がある場合においては、具体的にその理由を付した決定で、1ヶ月ごとにこれを更新することができる。」と定められています。条文を読めば、いかにも厳格な要件のようにも見えますが、実務上は「特に継続の必要がある場合」が厳格に審査されることはなく、「具体的な理由」も定型的で簡単な理由が付されるだけです。私の知る限り、裁判所の記録には、勾留関係の書類が綴ってある箇所に目立つ付箋が貼ってあり、この1ヶ月ごとの更新を忘れないようにチェックするのが書記官の日常業務の一つになっているようです。勾留更新は機械的に処理されているのではないかと思います。

 勾留の要件は、1住居不定、2罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由、3逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由のいずれかに該当するという勾留の理由(刑事訴訟法60条1項)と、勾留の必要性(87条1項)です。起訴前(捜査段階)において勾留の理由と必要性の両方が存在していたとしても、起訴後にもなお両方の要件が揃っている事案というのは、それほど多く存在するものでしょうか。例えば、次のような事案のほうが一般的ではないでしょうか。捜査は全部終わっている。先例に照らして判決の見通しも立っている。今回の件で被告人が人生をかなぐり捨てて逃亡するとは考えにくい。このような事案について、保釈が認められない限り、勾留しておく理由や必要性が本当にあるのでしょうか。

 このような問いかけに対し、裁判官は、次のように反論するでしょう。「被告人が自殺することだって考えられる。」「被害者や関係者に働きかける可能性がないとはいえない。」「公判に出頭してこないかも知れない。」要するに、森羅万象に罪証隠滅や逃亡に結びつく「おそれ」が宿っているということでしょう。しかし、刑事訴訟法が要求しているのは、単なる「おそれ」ではなく「相当な理由」です。誤解を恐れずに言えば、法律は、百パーセント完璧な罪証隠滅の阻止、逃亡の阻止を要求しているわけではなく、裁判官の見込み違いが発生することを想定しているはずです。

 以前、実務経験上、保釈は当然認められるだろうけれども、この程度の法定刑に罰金しかなく軽微な事件であれば、保釈保証金すら不要であり、まさに勾留取消がふさわしいと思われる事案の弁護をしたことがあります。私は、さっそく勾留取消請求をし、裁判官に面談しました。私は、裁判官に対し、勾留の理由又は必要性の要件を欠く点について、相当時間をかけて説得を試み、裁判官も頷きながら聴いていたようですが、結論は却下でした。私は、被告人を一刻も早く解放するため、直ちに保釈請求もしました。すると、こちらはあっという間に手続が進み、しかも破格に低い保釈保証金で保釈が認められました。なぜ、勾留取消と保釈で、これほど扱いが異なるのか、今も疑問に感じています。

 勾留取消がなかなか認められない背景には「どうせ裁判所は認めるはずがない」と最初から弁護人があきらめ、なかなか請求件数が増えないという実情があるように思います。そして、被告人を身体拘束から早く解放するためには、より手堅く認められる保釈請求を優先せざるを得ないという実情もあるように思います。しかし、せっかく勾留取消という制度があるのですから、これを死文化させないために、弁護人としては「これは」という適した事案について、躊躇うことなく勾留取消請求をするべきです。

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