身体拘束からの解放を目指して(4)

 これまで「身体拘束からの解放を目指して」というシリーズで3回書いてきました。最終回は保釈です。

 保釈は、保証金の納付等を条件に、勾留されている被告人の身体拘束を解く制度です。もし、保釈された被告人が逃亡しようとしたり、罪証隠滅を疑われる行為に及んだりした場合には、納付した保証金を没取(≠没収)されることがあるため、その威嚇力で勾留の目的を達成することができるという制度です。

 第一審の保釈率は、平成15年には約12%と低迷していましたが、その後上昇に転じ、平成26年には25%を超え、勾留された人のうち4人に1人について保釈が認められるようになりました。裁判員制度の影響か、はたまた郵政不正事件の影響か、統計上、保釈率が上昇した原因については、諸説あるようです。

 しかし、私は、裁判官の勾留に対する意識は、昔も今も基本的にはそれほど変わっておらず、最近の保釈率の上昇は、本来は簡単に保釈されたはずの事案が掘り起こされただけで、昔はそのような事案が保釈請求されずに放置されていたのではないかと考えています。つまり、被疑者国選弁護制度が拡大して起訴後早い段階での保釈請求が増えたことが少なからず影響を与えているのではないかということです。平成15年の保釈請求人員は約1万9800人、保釈許可人員は約9800人でしたが、平成26年の保釈請求人員は約2万2600人、保釈許可人員は約1万2800人です。司法統計からも、保釈請求件数が増えた分だけ許可件数も増えたと読めます。

 否認事件はもちろん、認めている事件でも、逮捕当初に否認していた場合や逮捕前に口裏合わせをしていた場合、裁判官は、刑事訴訟法89条4号「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」という権利保釈の除外事由を使って、保釈請求を却下する傾向にあると感じます。権利保釈は「保釈の請求があったときは、次の場合を除いては、これを許さなければならない」と定めるとおり、裁判官に対し保釈を許可するように義務づける制度のはずです。原則として保釈を認めるという発想に立たなければなりません。しかし、現実には原則と例外が完全に逆転しており、弁護人は4号が存在しないことを不必要なほど詳しく説明を強いられることが少なくありません。

 もう一つ、被告人に一定の前科があったり事件の法定刑が重かったりする場合には、権利保釈が認められないため、裁量保釈を求めるしかありません。刑事訴訟法90条が「裁判所は、適当と認めるときは、職権で保釈を許すことができる」と定めるとおりです。未決勾留は刑罰ではありません。有罪判決が確定するまで、被告人は無罪推定の原則に従って扱われなければなりません。勾留は被告人を狭い部屋に閉じ込める強力な人権制限です。「適当と認めるとき」とは、裁判官の気分次第という意味ではなく、合理的な裁量によらなければならないとされます。しかし、現実には、裁判官は「わざわざ釈放するほどの特段の事情があるのか」という観点から、保釈を許可するかどうかを厳しく審査し、刑の執行猶予が相当程度見込まれるような事案でなければ、基本的には保釈を認めようとしない傾向にあると感じます。

 なぜ、ここまで保釈に消極的な裁判官が多いのでしょうか。根本的には、勾留に対する意識の問題と思いますが、保釈に関していえば、それだけでなく、捜査機関、特に検察官に対する大きな信頼があるのだと思います。捜査段階を経て、最も多くの証拠を握り、十分に時間をかけて事件を検討し、事件をよく知っているのは検察官です。他方、弁護人は、起訴直後の段階ではまだ捜査機関の収集した記録にアクセスすることはできず、被告人の主張をもとに事件のことを把握している程度です。では、裁判官はどうでしょうか。裁判官は捜査機関から記録を借りて、一応これを検討するとはいえ、極めて短時間で保釈するかどうかを判断しなければなりません。時間的にみても記録を十分に読み込めるはずがありません。

 そのようなとき、裁判官の拠り所となり得るのは、保釈請求に対する検察官の意見です。保釈請求があると、裁判官は、決定をする前、検察官に対し意見を聴くことになっています。検察官の意見書は、表紙を含め3枚程度の短いものが多いのですが、内容は多種多様です。ときには「自分達は弁護人が知らない事まで調べたのである」と記録を全部握っている者が記録にアクセスできない弁護人を嘲笑うかのような自信に満ち溢れた不相当意見も見かけます。

 ところで、いつ誰が言い始めたのか知りませんが、検察官の意見書には2種類のメッセージが込められていると言われています。すなわち「不相当である」という意見の本音は、保釈を認めても構わない。しかし「不相当であり却下されるべきである」という意見は、もし保釈許可決定を出したら準抗告を申し立てて徹底的に争うぞ、というメッセージが込められている。現に、保釈許可決定後の検察官の行動は、ほとんど意見書のとおりで、「却下されるべき」と意見を述べたにもかかわらず保釈許可決定が出ると、検察官は、直ちに準抗告を申し立てることが多いといえます。

 そして深刻なのは、このような検察官の意見を気にする余りか、保釈に非常に消極的な裁判官がいるということです。保釈制度は、建前上、裁判官に決定権限があるとされていますが、実際には、検察官にイニシアティヴを握られていると感じる場面が多々あります。

 その上、保釈に関して、多くの裁判官からは、自分が保釈を許可した結果、万一でも逃亡や罪証隠滅などの問題が起きたら取り返しがつかないという極端なまでの慎重さを感じることがあります。もちろん、被告人の逃亡は見過ごせない重大な問題ですが、人間のやることである以上、絶対ということはありません。刑事訴訟法は、被告人が万一逃げたら、総力を挙げて見つけ出して保証金を没取しればよいといった、ある種の「割切り」を許容しているはずです。しかし、現実には、そのような「割切り」のできる裁判官は少ないと感じます。私は、狭い日本、そう簡単に逃げられるものではないと思うのですが。

 法制審議会の答申を踏まえ、刑事訴訟法改正案が作成されました(ただし、先の国会では審議されませんでした)。その中に、裁量保釈に関し「保釈された場合に被告人が逃亡し又は罪証を隠滅するおそれの程度のほか、身体の拘束の継続により被告人が受ける健康上、経済上、社会生活上又は防御の準備上の不利益の程度その他の事情を考慮し」という一文を挿入するという案も入っています。人質司法の被害者である村木さんや、弁護士サイドの委員の強い意見を踏まえ、換骨奪胎されながらも、何とか生き残った一文です。これを突破口に、保釈が少しずつでも本来あるべき有用な制度に変わるよう、弁護人としても努力と工夫を続けなければならないと思います。

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