裁判員裁判対象事件は、殺人、現住建造物等放火、強盗致傷など、一部の事件に限られており、件数的には全起訴事件の2パーセント程度と言われています。つまり、日本の法廷で開かれる刑事裁判の98パーセントは、裁判官と裁判員で構成される合議体で判断する「裁判員」裁判ではなく、1人又は3人の裁判官で判断する「裁判官」裁判ということになります。自分自身も、ここ数年を振り返ってみると、そもそも不起訴で終了する事件が半分くらいで、起訴されても裁判員裁判にならない事件の方が多いという実感です。
しかし、わずか2パーセントとはいえ、「裁判員」裁判が「裁判官」裁判に与えてきた影響は大きいと実感します。裁判員制度が導入された後、刑事訴訟法や刑事訴訟規則はさほど変わっていないので、運用が大きく変化したということです。ただし、後述するとおり、私のこの実感は、必ずしも弁護士全体の共通認識というわけではなさそうなので、個人的な感想であると前置きしておかなければなりません。
では、「裁判官」裁判の具体的に何が変わったのでしょうか。例えば、次のようなことです。なお、これらは起訴内容を認めている事件と争っている事件に共通するものです。
1 まず、検察官が請求する証拠を厳選するようになったと実感します。重複する写真を削り証拠物の点数を絞り、供述調書も全部を請求するのではなく、事件の核心に触れるものだけにするといった運用です。時には、弁護人が必要性なしという意見を出し、三者で協議の上、検察官が請求を撤回することもあります。以前は、どのくらいの量の証拠を請求するのかは、挙証責任を負う検察官に全て任せる不文律のようなものがあり、それほど規模の大きくない事件でも大量の証拠が請求されることがありました。最近の請求証拠の少なさを見ると、隔世の感があります。
2 第1回公判前に、検察官とのやり取りで、任意の証拠開示を求めることが容易になりました。公判前整理手続に付されていなくても、「証拠意見を述べる前提として、以下の証拠の任意開示を求める。1・・・2・・・3・・・」といった程度の書面で、相当な点数の証拠の開示を受けられる場合が多くなりました。これも以前には考えられなかったことです。1で検察官請求証拠が少なくなった分、この任意開示をしておかなければ、事件の全容をよく把握することができないといえます。争いのある事件はもちろん、争いのない事件でも、任意開示を受けた証拠の中に役立つ物が含まれていることはよくあります。原則として、どの事件でも任意開示をやっておくべきだと思います。
3 近い将来、刑事訴訟法が改正され、公判前整理手続に付する請求権の規定が設置されるかも知れませんが、現行法上はまだ正式な請求権がありません。公判前整理手続は長期化するという警戒心からでしょうか、裁判所は、弁護人が要望しても、公判前整理手続に付することに消極的な場合が多いようです。しかし、その代わり、弁護人が証拠意見を準備し、反証の見通しを立てるために一定の猶予期間を与え、いわば整理手続風に公判を進めることを許容する裁判所も出てきました。すなわち、以前のように第1回公判で何が何でも同意書証全部を調べ、第2回公判から証人尋問に突入するといった運用ではなく、公開の法廷で、争点整理をしながら証人尋問等の立証計画を立てていくといった運用です。
4 書証が証拠採用されると、実務上、法廷でその書証の要旨を告知するのが通例です。要旨とは、述べられていることの主要な点を意味しますが、どの程度、要旨を詳しく述べるかは検察官によって異なります。以前のような儀式ともいえる法廷では、この要旨はごく簡単に告知され、極端なときには、例えば「甲1から甲3は被害者の供述調書です。被害状況について述べたものです。」だけで済まされることもありました。これではどのような証拠なのか、法廷では何も分かりません。裁判官が公判終了後、部屋に戻ってからゆっくり記録を読めばよいという考えが背景にあるのではないかと思います。しかし、最近では、裁判官が、検察官に対し、ある程度詳しく要旨を告知させ、法廷でその証拠がどのようなものか分かる、つまり公判で心証を形成することを意識した訴訟指揮がなされる例もあります。
5 証人尋問、被告人質問も以前に比べコンパクトになった印象です。以前は、例えば、検察側証人の場合、まず、検察官が時間をかけて細部にわたる主尋問をし、弁護人がまた同じような内容の反対尋問を繰り返し、弾劾部分に関しても、些細なところまでしらみ潰しに尋ねるという非常に長時間の尋問が多く見られました。しかし、最近では、検察官も公判立会の技術が飛躍的に進歩したせいか、短時間で要点を突いた尋問をし、事件によっては、公判前整理手続の規定に準じて、証言予定要旨の開示に応じることもあります。従って、反対尋問の準備も主尋問を予想しながらスムーズに進めることができ、弾劾対象を絞ることができます。これも、公判で心証を取るための必要条件だと思います。
6 論告や弁論の在り方も変わりました。「裁判員」裁判だけでなく「裁判官」裁判でも、検察官が従前の羅列型の論告をしない場合が増えてきたように感じます。例えば、情状のみが争点の事件について、以前は、検察官が悪い情状(動機に酌量の余地なし、犯行態様が悪質、結果が重大など)に触れ、弁護人が良い情状(計画的でない、被害弁償した、反省しているなど)に触れるという不文律があったように思います。しかし、最近では、検察官は、「裁判員」裁判ほどではないものの、事件によっては、良い情状についても丁寧に触れ、悪い情状と良い情状の両方を公平に考慮した上、求刑何年が相当である、といった論告をすることが多くなりました。このような論告の後、良い情状だけを羅列した弁論をしても、説得力はありません。弁論の在り方も、このような論告に対応した形で大きく変えていく必要があります。
7 最後に、判決書も以前よりコンパクトになったように感じます。情状のみが争点の事件については、以前とあまり変わりませんが、罪体の全部または一部に争いのある事件については、事実認定の補足説明のボリュームが少なくなった印象です。きちんと調査したわけではないので、あくまでも印象に過ぎませんが、もしかすると、簡潔な判決が多い裁判員裁判の影響を受けているのかも知れません。簡潔な判決は、被告人や弁護人にとって悩ましい問題です。情報量の小さい判決は、控訴した後、控訴趣意書を書きにくくする要因にもなり兼ねません。しかし、他方で、判決書がコンパクトということは、検察官が膨大な証拠を請求しても結論に反映されないことを意味し、検察官に対し証拠の請求を減らす方向での更なる動機づけを与え、ひいては、そのような意味のない証拠を作らない、すなわち捜査のコンパクト化や取調べの短縮化につながるかもしれません。私の見方はやや楽観的かも知れませんが、このように刑事司法制度全体として考えると、判決のコンパクト化は、被告人、弁護人にとってプラスの側面もあるのではないかと思います。
以上のように「裁判官」裁判の変化は、刑事手続全般に及ぶものです。とはいえ、「裁判官」裁判が被告人供述調書に依存する比率はなお高く、被告人質問先行型の審理がスタンダードになっていないなど、「裁判員」裁判との間には歴然とした差があります。このような「裁判員」裁判と「裁判官」裁判の審理のあり方が異なっている現状は「ダブルスタンダード」と指摘され、この点については賛否両論あります(ダブルスタンダードを基本的に是とするのは清野憲一検事の論文(判例時報2252号)、基本的に否とするのは岡慎一弁護士・神山啓史弁護士の論文(同2263号))。ここでは多くを論じませんが、私は、ダブルスタンダードには否定的な立場です。裁判官も検察官も、同じ法曹として相当件数の「裁判員」裁判を担当し、公判中心主義の刑事裁判を身をもって経験してきました。その上で「裁判員」裁判が「裁判官」裁判に大きな影響を与えているということは、内心、裁判官も検察官も、「裁判員」裁判のほうが本来の刑事裁判の理念に忠実であるということを認めているのではないかと思います。
裁判官は「裁判員」裁判を通じて、一般市民である裁判員と日常的に接しています。その過程で、以前とは異なり、一般市民を相手に、刑事裁判の理念を、繰り返し声に出して語ることになります。そのような裁判官自身の仕事の変化が、じわじわと「裁判官」裁判に影響を与えないはずがないと思います。また、検察官は、裁判員裁判による刑事手続の大きな変化を正面から認めつつ、組織としてこれに対応し、他方で、捜査機関としての立場もあるため、被疑者取調べを真っ向から否定するような急激な公判中心主義的変化には応じられない、という姿勢のように見えます。私は、以前、人証中心の裁判員裁判の是非について、行政権と司法権の綱引きのような現象が起きていると書いたことがありますが、今も同じような感覚を持っています。
これに対し、弁護人はどうでしょうか。刑事弁護に携わる者にとって、最も悩ましいのは捜査段階の弁護だと思います。弁護人の立会いが制度的に全く認められない中、自分の依頼者である被疑者が捜査機関の意のままに取調べに晒されるからです。その状態は最大23日間も続きます。弁護人は対応に苦慮しつつ、せめて捜査の期間を短縮できないものかと考えます。このような状況において、公判中心主義という「錦の御旗」を掲げ、相対的に捜査機関の活動を抑制できるのであれば、弁護人としては基本的には歓迎すべき方向ではないかと思います。捜査の期間の長短よりも、裁判員にとって分かりやすい裁判という観点に強い関心をもつ裁判所とは、同床異夢といえるかも知れません。しかし、弁護人としては、裁判所と足並みを揃え、刑事裁判全体を、徹底した公判中心主義的運用に切り替えさせるべきではないかと考えます。
ところが、現実はそう簡単ではありません。弁護士全体を見渡すと、変わりゆく刑事裁判になかなか対応できていない(あるいは意識的に対応しようとしない)現状があります。弁護人が、昔と代わり映えのしない従来型の弁護活動をしたとしても、昔のやり方をよく知っている裁判所や検察官であれば、一応、そのような弁護人にお付き合いしてくれることでしょう。今でも、件数的には、従来型のほうが多いと聞きます。しかし、それでは「裁判官」裁判の変化を実感し、これを生かすことはできません。実にもったいない話だと思います。
「裁判員」裁判の影響を受けた「裁判官」裁判は、従来型よりも弁護人に対する要求が厳しくなります。例えば、被告人質問先行型の公判を実現しようとすれば、今までよりも、弁護人は被告人と念入りに打合せをしなければならず、弁護人の仕事量は増えることでしょう。証拠開示も、的確に、かつスピーディーに進める必要があります。尋問も弁論も、以前担当した事件の焼き増しではなく、事件ごとに一から作り上げなければならないはずです。
結局、最後は弁護人がどこまでこだわって活動するかにかかっているといえます。
【関連エッセイ】
公判前整理手続の長期化?
なぜ弁論をするのか
なぜ不同意意見を述べないのか
なぜ証拠開示をしないのか