被疑者・被告人を、収容する刑事施設(法務省所管の拘置所など)に代えて、留置する留置施設(警察署など)を代用監獄といいます。監獄法が刑事収容処遇法(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律)に変わり、監獄という用語が刑事施設に改められたので、代用刑事施設と呼ぶべきかも知れません。しかし、法が変わっても基本的な仕組みは何も変わっていませんので、ここでは敢えて、昔から使われている代用監獄という用語を使います。
さて、代用というくらいですから、原則的な勾留場所は拘置所のはずです。刑事収容処遇法15条1項にも「刑事施設に収容することに代えて、留置施設に留置することができる」とされており、「刑事施設に収容するのではなく、留置施設に留置しなければならない」とはされていません。
ところが、現実には、特に捜査段階では、ほとんど全ての被疑者は、勾留されると当然のように警察署に収容されます。そして、半ば当然のように1件あたり20日間勾留され、その間、長時間の取調べに晒されます。代用監獄存続の理由は、表向きは、拘置所の数が足りないからなどと言われていますが、実際上の理由は、取調べにとって好都合で警察が手放せないからでしょう。同じ建物の中にいる被疑者をいつでも自由に取調室に呼んで、取調官のペースで何時間も取り調べることができるのですから、取り調べる側からすれば実に便利なシステムです。しかし、これこそが代用監獄の弊害であり、自白の強要、冤罪の温床となると非難される所以です。このことは、数ある冤罪事件の中に、代用監獄での取調べによって得られた自白の信用性が否定されて無罪となったものが多いことからも分かります。建前上は、取調べセクションと留置セクションは別で、相互の交流もないとされていますが、どちらも同じ警察官ですし、取調官の至近距離で寝泊まりすることになるのですから、弊害は全く緩和されていないと思います。
この代用監獄、世界的にみても奇異な制度のようで、国連の委員会から廃止を勧告されているほどです。諸外国において、警察署での拘禁期間は、せいぜい日本の逮捕・留置の期間内(最大72時間)に収まるのが通常だからです。ところが、日本においては、昔から警察署に当然のように留置施設が存在し、これが当然のように維持され、今でも新しい施設が作られています。他方、拘置所の数が増えることはほとんどありません。予算の配分一つとっても、ニッポンという国において、「代用」を廃止して本来の姿に戻そうという動きは全く見られません。
代用監獄の問題が根深いのは、旨みを手放さない警察や、これを漫然と追認する検察・裁判所だけでなく、弁護士サイドの問題意識が薄いという点にあると思います。我々は、日常的に勾留中の被疑者・被告人に接見しますが、たいてい警察署での接見のほうがスケジュール調整が容易です。土日祝日も、早朝も、夜間にも自由に会えますし、愛知県のように予約しておけば待たずに接見できます(岐阜県や三重県は予約制ではありませんが、愛知県ほど混雑しないせいか、経験上あまり待たされることはありません。)。これに対し、拘置所は、原則として、平日の午前と午後の決められた時間にしか接見できません。それに申し込んでから接見できるまでに相当待たされることがあります。
このような実情から、弁護士の中には、憚ることなく拘置所より警察署のほうが都合が良いと言う人が少なくありません。代用監獄の根本的問題を考えれば、同じ弁護士として耳を疑いたくなるような発言ですが、このような発言が警察、検察、裁判所に伝わり、その結果「弁護士さんも内心は代用監獄がなくなったら困るでしょう」と嘲笑われるわけです。このような弁護士に対しては、「警察署が便利なのではなく、拘置所の不便さこそが問題なのだ」と粘り強く説教するしかありませんが、年々、虚しさが増してくるのも事実です。