私を締め出す理由は?

 刑事訴訟法第226条に、捜査のための証人尋問の規定があります。期日前尋問と呼ばれることがあります。「犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者が、第223条第1項の規定による取調に対して、出頭又は供述を拒んだ場合には、第一回の公判期日前に限り、検察官は、裁判官にその者の証人尋問を請求することができる。」というものです。

 捜査機関(警察官、検察官)は、必要に応じて被疑者以外の人の取調べをすることができます。対象は、被害者、目撃者、親族、友人、取引先など様々です。しかし、これらはあくまでも任意の取調べであり、その人は自由に出頭や供述を拒むことができるはずです。一市民として捜査機関に協力することも自由ですし、協力しないことも自由です。捜査機関の要請に応じない理由は様々でしょうが、法律はその理由を問いません。任意の取調べというものは、本来そういうものです。捜査機関の要請に応じないという選択は、尊重されなければならないはずです。

 しかし、出頭や供述を拒み続けると、検察官は、ときに冒頭で述べた期日前尋問の請求をします。取調べに応じないのであれば、裁判所において、裁判官の面前で、一問一答の尋問形式でその人物から事情を聴取してしまおうというわけです。このような制度が存在すること自体は、捜査機関の立場からすればやむを得ないのだろうと一定の理解を示すことはできます。しかし、この場合、その人は、全ての質問に対し証言を拒むことはできず、理由を明らかにした上で証言拒絶権(刑事訴訟法第146条〜第149条)を行使するにとどまります。法律に疎い一般人が的確に証言拒絶権を行使することは困難であり、裁判官の分かりにくい訴訟指揮によって、本来拒絶できる箇所を拒絶し切れず、事実上意に沿わない証言を強いられる例もあります。

 特に深刻なのは、共犯事件の場合です。自分の依頼者が黙秘を続けている場合、検察官が、他の共犯者の事件からみれば被疑者以外の人物であるとの理由で、自分の依頼者について期日前尋問を請求することがあります。自分の取調べのときには、包括的黙秘権を行使し、最初から最後まで黙っていてもよいのですが、尋問となると包括的黙秘権はなく、基本的には証言する義務があり、証言を拒むときには証言拒絶権を的確に行使しなければなりません。証言拒絶権を行使できず、ズルズルと証言させられてしまうケースもあります。そして、検察官は、その証言を、共犯者とされる人物の裁判ではなく、自分の依頼者の裁判に流用して、強力な「裁判官面前調書」として証拠調べ請求します。そのような尋問には出頭しなければよいではないかと言われそうですが、証人には出頭義務があり、正当な理由がなく出頭しないとペナルティを課されます。法律家である弁護士として、法的な義務がある以上、行かなくてもよいというアドバイスをするわけにはいきません。

 このような場合、せめて弁護士の立会いが認められればよいのですが、残念ながら、私には立会いが認められた経験がありません。依頼者が共犯者とされている場合に期日前尋問が請求されたとき、私は弁護人としてではなく、共犯者の弁護人という立場で立会いを求めることになります。第228条第2項には「裁判官は、捜査に支障を生ずる虞がないと認めるときは、被告人、被疑者又は弁護人を前項の尋問(期日前尋問)に立ち会わせることができる。」と当該被疑者・被告人の弁護人について規定します(なお、この規定による立会いも何故かほとんど認められていないようです。)。共犯者の弁護人について、特に規定はありません。しかし、当該被疑者・被告人の弁護人でさえ立会いが認められる場合があるのですから、規定がないからと言って、共犯者の弁護人の立会いを積極的に排除する趣旨ではないはずです。

 ところが、裁判所は、共犯者の弁護人の立会いを、まずもって認めません。そして認めない理由も語りません。弁護士が立ち会うと、的確に証言拒絶権を行使され、尋問が円滑に進まないからでしょうか。最近では、国会の証人喚問で代理人弁護士が補佐人として証人にアドバイスをする様子が放映されましたが、ああやって「入れ知恵」で証言拒絶されては尋問にならないとでも考えているのでしょうか。実は先日も、共犯者ではなく、単なる参考人の代理人として期日前尋問の立会いを求めましたが、裁判所からはやはり理由もなく拒絶され、私は依頼者と引き離され、法廷から締め出されました。

 法を司る裁判官ともあろう人が、弁護士の「入れ知恵」を恐れているとしたら、話にもなりません。格調高いアメリカのエスコビード対イリノイ州事件判決(1964年)の一節と比べ、このような裁判官の度量の狭さには暗澹たる思いです。「憲法上の権利に対する無知のゆえに、市民が放棄していることをいいことに、その有効性を保っているような刑事司法は、生き残ることができないし、また生き残るべきではないということ、これもまた、歴史の教訓としてわれわれが学んできたことである。被疑者が弁護人と相談することを許せば、被疑者がこうした憲法上の権利を知り、それらを行使するようになると恐れるようでは、維持するに値する制度とは、到底言えない。憲法上の権利の行使が、法執行のシステムの有効性を阻害するというならば、そのシステムに何か大変な誤りがあるということである。」

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