法律の世界には、難しい言葉が溢れています。色々な理由が考えられますが、目に見えない抽象的な概念が多いことや、一つの文章が長くなってしまうことが大きな理由だと思います。もちろん、堅苦しい表現を好む法律家が多いというのも大きな理由でしょう。例えば、「原告の本件請求は主張自体失当であり、可及的速やかに棄却されるべきである」というような、法律家にとっては何てことない文章も、一般の人は難解でとっつきにくい印象を受けるのだと思います。
法律の世界では、かなり厳密さが求められますので、一番ふさわしい言葉は何かを選ぶとき、どうしても難しい言葉が登場してきます。また、法律は、全ての人に平等に適用されるものですから、どうしても言葉が抽象的になり勝ちです。これは、ある程度、仕方ないことなのかも知れません。しかし、法律は、人が生きていくために必要な「道具」です。難しくて敬遠され、使えない「道具」では、意味がありません。
ところで、この「わかりやすい言葉」という、いわば当たり前のことが、最近になって徐々に意識されつつあります。例えば、憲法、民法、刑法、商法(会社法)、民事訴訟法、刑事訴訟法という「六法」のうち、かつては4つが漢字カタカナ混じりの文語体でした。この4つが漢字ひらがな混じりの口語体になったのは、刑法が平成7年、民事訴訟法が平成8年、民法が平成16年、商法(会社法)が平成17年です。それ以前は、法律の一部を改正するとき、わざわざカタカナ文語調に直して条文を追加していました。
それに、来年5月から「裁判員制度」が始まります。ここでも「わかりやすい言葉」が強く意識されています。確かに、法律家にしか通用しない難しい言葉でやり取りしていては、裁判員の人達は何をやっているのかさっぱり分からず、このような制度を導入した意味がありません。
私も、人と接するとき、難しい言葉をできるだけ使わないように気をつけています。一般の方々だけでなく、法律家と接するときも、そうしています。法律家同士も、わかりやすい言葉でやり取りするのが理想だと考えているからです。ですから、いつも頭の中で言葉を置き換えながら、話したり書いたりしています。このような工夫をして、自分の伝えたいことが相手によくわかってもらえたときは、大変嬉しいものです。