先日、朝日新聞のオピニオン欄に「争論 法科大学院は必要か」という記事が載っていました(5月31日)。法科大学院の設置された大学の教授2人が、異なった立場から意見を寄せるというものです。興味深いのは、法曹人口問題(特に弁護士増員論)に関して、両者の意見は「大幅に増員せよ」という方向で一致していることです。
しかし、両氏の意見は、あまりにも現場を知らない間違った認識に基づくものですから、ぜひ現場の弁護士としてコメントしたいと思います。なお、法曹人口問題についての私の基本的な考えは、過去にこのブログで書いたとおりです(末尾の【関連エッセイ】を参照してください。)。
奥島孝康氏
「日本弁護士連合会には『就職先がなく食えない弁護士が多いので、これ以上合格者を増やすべきではない』と主張する人がいますが、弁護士が多いのは東京など都会だけで、地方はまだまだ少ない。東京で食えなければ、地方に行けばいいのです。
地方では、法的なトラブルが発生しても弁護士が少ないため、ヤクザや地域の有力者に仲裁を頼んで紛争を解決する人がたくさんいます。地方でそうした潜在的な需要を掘り起こせば、仕事はあるはずです。企業内弁護士として企業が抱える法的リスクを未然に防ぐ分野も、もっと開拓すべきです。その努力もせずに『弁護士が多すぎる』と主張するのは、弁護士が既得権益を守ろうとしているからとしか思えません。」
私は、既に飽和状態の名古屋(都会と地方の中間くらい)で弁護士をしていますが、「食えない弁護士が多いので、これ以上増やすべきではない」などと言う弁護士に会ったことはありません。もちろん、3万人以上いる弁護士の中には、そのような趣旨のことを述べた人がいるのかも知れませんが、少なくとも「日本弁護士連合会には・・・」と言われるような代表的な意見ではないはずです。
日弁連の最近の意見書にも、そのようなことは書かれていません。日弁連の3月27日付「法曹人口政策に関する緊急提言」には、次のように書かれています。
「これまでの法曹人口増員のペースがあまりに急激に過ぎたことに加え、法曹養成制度がいまだ十分に対応できているとはいえず、『法曹の質』への懸念が生じている。また、裁判官・検察官増員がほとんど進んでいないことをはじめ、司法基盤整備がいまだ不十分な中で、弁護士のみが急増した結果、現実の法的需要とのバランスを欠き、そのことが新人弁護士の実務法曹としての経験・能力の獲得に影響を及ぼしている。」
要するに、現役の弁護士が最も懸念しているのは、食えるかどうかではなく、弁護士増員による「法曹の質」の低下であり、それによって引き起こされる弁護士に対する信頼の低下、ひいては弁護士自治の危機なのです。
氏の意見は、弁護士を食うことばかり気にして既得権益を守ろうとする身勝手な集団と決めつけ、弁護士をそのように印象づけようとする点で悪意を感じます。
また、氏は弁護士が多いのは東京など都会だけで地方はまだまだ少ないと言いますが、既に地方も飽和状態です。それは、弁護士になろうとする司法修習生が現に大変な就職難に苦しんでいることからも分かります。今の司法修習生は、東京・大阪だけでなく地方でも必死で就職活動しています。しかし、それでもなかなか就職先は決まりません。もし、地方に弁護士の需要があるならば、容易に就職先が決まっているはずです。需要さえあれば、一般の営利企業と同様、弁護士事務所の場合も、どんどん部下(勤務弁護士)を雇って組織を大きくしながら需要に応えるという経営方針は成り立つからです。
弁護士会は、ここ数年、かなり無理して司法修習生の就職先の確保に努めてきました。もともと雇う気のなかった弁護士に頼み込んで何とか一人でも新人を雇ってもらうという活動です。しかし、それでも限界があります。弁護士事務所の大半は零細企業ですから、人一人雇うのは大変なことです。需要のないところに過大な人件費を負担するわけにはいきません。
次に、弁護士が企業内弁護士を増やす努力をしていないという点も間違っています。法曹人口の増加に先立ち、日弁連や弁護士会では、企業内弁護士を増やすため、数年にわたってかなりの努力をして、企業に弁護士を売り込んできました。
しかし、肝心の企業側に、ほとんど企業内弁護士の需要がないのです。日本経済全体が冷え込む中、小さな企業には自前で弁護士を雇うような体力はありませんし、大きな企業は既に法務部が整備されているため、あまり弁護士を雇う必要がないのです。
2004年にスタートした法科大学院は、世間的にはだいぶ周知されてきたはずです。企業が企業内弁護士を求めているなら、自発的に求人があってよいはずです。ほとんど求人がないのは、結局、企業側に需要がないからです。
最後に、地方ではヤクザや地域の有力者に仲裁を頼む人がたくさんいるというのは、およそ事実に基づいた発言とはいえず、氏は思い付きでそう述べているだけでしょう。私は、日々法律実務の現場にいますが、世の中にそのような人がたくさんいるとは思えません。仮にそのような人がいたとしても、それは都会か地方かとは無関係で、頼む人の個性にすぎないと思います。氏の発言からは、「地方」に対する偏見も見え隠れしています。
安念潤司氏
「合格者を増やすと、法曹の平均的な質は当然低下します。だけど、それで誰が困るんですか。上位500人は、旧司法試験の時代と同じくらい優秀なはずです。ぎりぎりで合格した連中だって、世の中に出せば意外と使い物になるかもしれない。入り口で絞るんじゃなく、チャンスは与えて、後は自由競争に任せればいい。」
この発言には愕然とします。私も法科大学院で教えていますが、それは法曹の質を高めたいという思いからです。法曹の質が下がってまず困るのは、弁護士ではなく、依頼者です。切実な問題を抱えて弁護士に依頼した人が弁護士側の問題で被害を被ったとき、氏はその人を「法曹の質が低下したのだから仕方ない」と慰めるのでしょうか。
そして法曹の質の低下は、弁護士に対する信頼の低下につながります。弁護士が信頼されなくなれば、弁護士自治(弁護士が権力から独立し、自治によって職業集団としての弁護士を統括するあり方)も維持できなくなります。「弁護士は信頼できないから国が監視せよ」という議論につながるからです。弁護士自治があるからこそ、弁護士は、依頼者のために、時には国家権力や大企業に対しても臆せずに物が言えるのです。
氏の意見が不合理なのは、弁護士を医師に置き換えてみればよく分かります。「医師の質が下がったからと言って、誰が困るんですか。ぎりぎりで合格した連中だって、医師をやらせてみれば意外と使い物になるかもしれない。チャンスは与えて、後は自由競争に任せればいい。」
このような世の中になったら、安心して医者にもかかれません。
両氏のような発言は、法科大学院黎明期にはよく耳にしたものです。しかし、法科大学院が始まって7年経ち、だいぶ現実が見えてきた今でも、同じような発言が大々的に取り上げられるというのには少々驚きです。もっと現場を見てから物を言ってほしいと思います。
【関連エッセイ】
法曹人口問題(2)
法曹人口問題(1)
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