裁判員裁判(4)

 先日、私にとって4件目の裁判員裁判の弁護をしました。今回は3人が共犯として起訴された傷害致死の事件です。

 この事件では、1人の男性Aが被害者に対して圧倒的にひどい暴行を加え、私の弁護した男性BがAに指示されて少し手を出し、もう一人の女性Cはその場にいたけれども全く手を出していないという事実関係でした。Aは、普段からBや被害者を働かせて搾取もしていました。検察官は、ABC3人とも共同正犯であると主張し、BとCは共同正犯の成立を争いました。私には、1件目の裁判員裁判で共同正犯の成立を争い、軽い幇助の結果となった経験がありましたが、今回も1件目と多くの共通点があると思いました。

 公判では、事件だけでなくその背景を含めた事実関係を明らかにするため、客観的な書面等を使いながら効果的な尋問をするように心掛けました。そして、こちらの主張を根拠づける事実関係が浮き彫りになったと思いました。しかし、判決は、弁護側の指摘にきちんと答えることなく、検察官の主張をなぞっただけのごく簡単なものでした。私は、結論よりも、その結論を導き出す理由のあまりの薄さに驚きました。

 その後、なぜこのような判決になってしまったのかを考えました。理由の一つは、ABC3人を一緒に裁判することに無理があったのだと思います。3人の主張がそれぞれ食い違っていて、裁判ではお互いを攻撃する関係にもあったため、検察官の主張との対立関係が明確にならなかったのかも知れません。裁判官・裁判員の席から法廷を眺めると、3人は、結局、似たり寄ったりに見えてしまった可能性があります。3人を一緒に裁判することは最終的には裁判官が決めたことですが、弁護人としては、もっと強く裁判の分離を求めるべきだったと悔やまれます。

 もう一つの理由は、裁判の進め方の問題です。裁判員制度が始まり、裁判官は、裁判員に負担をかけないよう意識するあまり、裁判のスケジュールを硬直化させ過ぎる傾向にあります。審理だけでなく評議のスケジュールまで、初めから決められています。しかし、裁判は生き物のように動くものです。儀式ではありません。公判が進むにつれて、時間をかけて十分に検討しなければならない新たな問題が生じることはよくあります。この事件もまさにそうでした。ところが、裁判官・裁判員は、最初から決められた評議のスケジュールに忠実に従い、予定どおりに判決しました。私は、この事件に関しては、1つの争点について一体どのくらい時間をかけて丁寧な評議がなされたのか、疑問を持っています。

 裁判員制度は、裁判官、検察官という国家公務員が一般の人達の目を強く意識して襟を正すという意味で大きなプラス面を持っていると思います。しかし、今回の裁判員裁判では、残念ながらマイナス面が目立ったように感じました。

【関連エッセイ】
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