名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんが、今日、亡くなりました。
肺炎で八王子医療刑務所に移ってから3年余り、雪冤のため気力と執念で生き抜いてきた奥西さん。生きているうちに目的を達成することができず、さぞかし無念だったことでしょう。
この結末に直面し、一体何が足りなかったのか、どこがターニング・ポイントだったのか、どうすれば良かったのか、今、頭の中でこれまでのあらゆる場面が渦巻いています。主に頭をよぎるのは、再審の戦いで節目節目に立ちはだかった裁判長の顔です。自分自身も会ったことのある裁判長、写真でしか見たことのない裁判長の両方です。
昭和44年、名古屋高裁の逆転死刑判決が誤りの始まりでした。第一審・津地裁の無罪判決を批判するスタイルに終始し、自身の有罪認定の枠組みをきちんと示すことなく、破棄自判して死刑を言い渡しました。弁護団はこのつかみ所のない「確定判決」を相手に戦いを挑むことになりました。
平成9年、最高裁の特別抗告棄却決定も大きなターニング・ポイントでした。開示された捜査関係証拠の少ないこの事件について、手元にある証拠の一部をピックアップして、奥西さん以外に犯行機会はないと決めつけ、「これが有罪の決定版である」と言わんばかりに有罪認定の枠組みを新たに作りました。あれから18年、未だに隠された証拠は開示されていません。
平成18年、名古屋高裁刑事2部の取消決定も衝撃でした。前年に出された名古屋高裁刑事1部の再審開始決定に対し、同じ名古屋高裁があっさりと同僚裁判官の判断を取り消すという不可解な仕組みもさることながら、その内容も、無実の者ならば重大な事件についてそう簡単に自白するはずがない、という非科学的な発想が根底に横たわったものでした。もし、係属部の順序が逆で、刑事2部が先、刑事1部が後だったとしたら、奥西さんは今ごろ社会の中で余生を終えることができたかもしれません。
平成24年、名古屋高裁刑事2部の棄却決定も、科学と真摯に向き合わないものでした。弁護団は、その後、時間を費やしてさらなる新証拠を準備し、平成24年決定の誤りを科学的に明らかにすることができたものと確信していますが、結局、これを使って第9次再審で裁判所に誤りを認めさせる前に奥西さんは亡くなってしまいました。
名張毒ぶどう酒事件は、日本の刑事司法の中でもとりわけ再審の分野において、裁判所が深刻なまでに機能不全に陥っていることを示している象徴的実例だと思います。通常の裁判と同様、再審請求手続においても「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則が適用されるとした白鳥決定から40年が経ちました。しかし、日本では、未だに、真犯人が見つかるか、一発で確定判決を破壊する例えばDNA型鑑定のような新証拠がない限り、なかなか再審開始決定を確定させることができません。ほとんどの裁判官は、内心「疑わしきは確定判決(有罪判決)の利益に」という感覚で再審請求手続に臨んでいるのではないかと思います。
冤罪は最大の人権侵害の一つです。奥西さんの名誉を回復するため、これから何をすべきなのか、大勢の弁護団で知恵を絞って考え、実践していかなければならないと思います。
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